何も考えてない事と素直な事
楽しみが一つ減った。
世の中のせいなのか
消えてしまいたいような。
心が疲れている時は、消えてしまいたいと思う事がある。
自分がちっぽけで、何の役にも立たないような思い込みに苛まれる。何もしたくない、誰とも話したくない。自分は好かれてない…
ネガティブの塊になる。
ネガティブの本質を考えたとき、日々の忙しさから肥大化した心のコントロールを取り戻したいという気持ちなのかと思う。
何もかも投げたしたいのではなく、
自分のペースでやりたい。
そういう事なのかなと。
後回しにしたり、棄てたりしながら
自分の中に落とし込んで、バランスを
取っていく。
何はともあれ、毎日は動いていく。
終わりは必ずある。
誰かの助けを貰いながら、
今日も頑張ってみる。
試験会場にて…
試験会場にて…
情報情報技術者試験というものがありまして、多数の受験生が訪れます。
恐らく試験資格に制限はないと思います。かなりの年配者から20前後の若者まで…本当に幅広い。
皆さん何かしらの思いがあって受験されていると思うのですが、自分は「会社から言われているから」と言うのが大きな要素です。昇進の条件だから取得を促されるわけです。
資格と免許は大きく異なっていて、(資格と言う名前がついていても、事実上、免許みたいなものもありますが)
免許は持っていないと行動に制限がかかる場合がありますが、資格はそういう事が少ないです。何かしらの基準となって、人々を選別する事に使われる事が多いと思います。
資格を持っているのが偉いとか、優秀とか判断される事が多く、客観的な観点では間違ってはいないと思います。
でも、仕事ができるとか、能力があるとか…本質的な所は資格とか関係無いんですよね。何か差をつけるならば、資格と言う基準を当てはめてみるという事なんだと思います。
自分の力を試すために、資格をとる人もいると思います。それが正しい姿なのだと思います。しかし、他の誰かと競争するための要因でしか無ければ、無駄な時間を過ごしている事になりかねない。
やりたくない事に多くの時間を割くなんてナンセンスだし、覚えたこともすぐに忘れてしまうように思える。
なんて事を考えながら、自分も参加していました。
まぁ、できる人は仕事もちゃんとやるし、資格も持ってるんですよ。やっぱり自分のために頑張るしか無いですね。
仕事で怒鳴る必要があるか
仕事で怒鳴る必要があるか。
職場では、大なり小なり小言やお説教が聞こえてくる。その中で大きな声で怒鳴る方がいる。
何故なのか、うまく理解できない。
怒鳴るというのは、感情が押さえきれない場合や、相手を威圧する際に起こる現象(?)だと思っている。
「対話しても意味がない」とか、「自分の事を認めて欲しい」とか…悪く言えば「ワガママを通したい」とか。
性格にも影響されることなので、それが個人のポリシーならば、一定の理解をしてあげたいと思う。もちろん、理屈が通っている事が条件になるが。
自分は穏健派のため、燃えさかっている人を見ても、それを飲み込んだ上で何事もなく接する自分がいる。相手に釣られて声のトーンが大きくなる事は多々あるけれど。
良く言えば大人の対応なのだろう。悪く言えば真剣さが足りないのだろう。
仕事の事で怒る事が少ない。怒ったとしてもポーズにすぎないことが多い。
怒りや不満のコントロールは、非常に難しい事だと思う。
怒鳴るくらい「真剣に考えている」という考え方もある。どうしても曲げることのできない思いや、目に余る理不尽な状況を打開したいという前向きな思考による場合もある。
ポジションか、ネガティブか。
そこが重要なんだろうと思う。
どうやって、困難を解決するかを突きつけている時は、思った事をぶつけて行くべきなのだろう。
実際には、ネガティブな事が大半ですけどね…