年度末という師走のような時期

年度末…社会人になってからというもの、この響きに良い思い出は無い。

年度が変わる前に、清算を〆なきゃやばいんだよぉぉ
納品終わった?売上あがんなかったらどーするんだよ。
年度末処理のため、システム稼働停止期間が設けられます

などなど

そして入社何年目が、ひとつ繰り上がる。
誕生日よりも歳を取った気分だよ。会社に居る時間の方が長いんだから。

 

毎年、毎年飽きもせずに同じ状態を繰り返してる。
一か月前から、”年度末までもうすぐなので~”というお達しが来るけど、"目の前が忙しすぎて見てらんないよ"という返しをし、ギリギリになって焦る。
人の異動についても同じだ。1週間前にしか正式に知らされないんだから、そりゃ忙しくもなる。いっそ会社を辞める人の場合は、数か月先から分かっているからなんとでも対応する事が出来るのだが(それも難しいと言えば難しいが)

 

会社員になると、年度で括るという概念そのものが、現在のニーズに合わない事は多いような気がする。いや、年度で色々な事が動いていて、その中で計画を立てて実行していくという事に対してそれ程の嫌悪感は無い。
何に違和感を感じているかと言うと、年度を跨いだ時点で去年の行いについては免罪またはリセットもしくは過去の事にするという卒業的な要素が含まれる事にどうもなじめない。どこかで〆なくてはならない。それは対外的に見ればヒツゼンの事なのだけど。

色々な事をごまかしながら年度を跨ぐという行為を行い、次の年度へ続けていく。ある意味連続性を途絶えさせながら、次へのステップに進もうとする。その時点では何も変わっていなくともステップが変わったように見せかける。。。
(年末、年始のテレビ番組も同じだけど。)

 

きっと、子供の頃から年度が変わる=何かが変わるという意識を植え付けられてきたせいなのかも知れない。でも、自分自身は何も変わらない。生きている事はひたすらに連続的でどこかに切れ目なんてない。むしろ社会的通念で動く年度なんて概念に縛られるものではないし誕生日ですら、他人と比較するための"年齢"が進むに過ぎない。

何で区切りたくなるのか…結局は人間は基本的に怠惰であるから、マイルストーンが必要だという事だと思う。なんでも緻密にしっかりやれる人であっても、スケジュールやマイルストーンという道標が無ければ自分がどこにいて、どこに向かっているのか分からなくなってしまう。便宜上決めた日付を使って色々な事を整理し捨てる事が必要なんだと思う。

明日からやろう、月末からやろう、来年からやろう、年度が変わったらやろう…
状況が変わっている事はあるけれど、自分自身はその時間を経過しても何も変わっていなだろう。でも、そうじゃなくて、決めた日や区切りまでに何をするのかを決める事が一番大事なんだろうな。変わるために準備できる事を考えておく、区切りの日から捨てるものを考えておく。何か新しいものを得るためには、何か捨てる必要がある。時間をストックする事は出来ないのだから。