自ら変化するか、変化を受け入れるか、変化に流されるか。

革新系の有名人、会社のトップ、意識高い系の上司、飲み会での会話…どんどん変化を受け入れていくべきだという考え方は一般的になっていて、良くも悪くも議論が分かれる所だが、結局はアプローチの差でしかない。


レールを外れたくない人、実は変わりたくない人でも、変化した方が良いというからタチが悪い。どう考えても精神的な閉塞感の打破と自身の安定が揺らぐ事に対する一種の精神的な防御では無いかと感じるような話をする人がいる。つまり自分が変化に飲まれつつある事を、あたかも自分から流れに乗るかのように話しているのではないか。本質は流れに乗りたくない。みんなが流れに乗った時、乗り遅れたくないと言っているにすぎない。先頭を切って変わろうなんてこれっぽっちも思ってない。

 

先の見えない未来を自分が変わっていく事で生き抜いていこうとする考え方が本当に変わっていくという事。圧倒的に自由で基本的に好きな事をやる。やってみて自分に向いているか向いていないか考える。割にあうか合わないかを考える。したたかさがあるという事なんだろう。このような変化をしていくためには強靭な精神力と体力が必要だろう。本人達は大した事はないと言うだろうが、世間体という精神攻撃や常識という監獄からの脱出という精神面、怪我もなんのその、病気をしても自分ひとりで戦える体力が必要である。もっとも、体調面については精神と密接な関係が有るものの、日本で有れば病院もしっかりしているので、体力面はそれほど重要ではないかと言える。背負っているものが無いというのも、重要である。年老いた親の介護や、幼い子供の相手をする必要が無ければ、変化を推し進めための足枷にはならない。

 

7割の人々は、変化に流され、2割の人は変化を受け入れ、1割の人は自ら変化するというような事なのかな(自分の体感的に…環境によって大きく異なる)それなりに
安定した会社に居るために、こんな割合なのかなと思うが、変化に流される人は、自ら変化しようとする人の足を引っ張る事が多いのが難点なのだ。自らルールを変えようとしないが、変わった途端に手のひらを返したような態度を取る。決してルールを変える側には回らない。ルールを変えようとする人を制止しやる気を削ぎ、安定をさせようと試みる…。

 

 変化に流される人は、言われたとおりにやれば良いと思っていて、みんなの意見が正しいと思っている。自分だけ不利益を被ると、平等じゃないと言いだす。変化を求められた事に対して、圧力をかけられていると感じる。
変化を受け入れる人は、言われた事の意味を考え本質を考えようとするが、全体意見には逆らわず、調和を目指す。変化を求められる事に対して、自分なりの考えを持っていてコントロール可能な範囲で自分の意思を伝え、できるだけ望ましい方向に近づけようとする。

 

結局、組織の中にいるならば、自ら変化する事は、自分だけ変化すれば良いという事ではなく周りも巻き込む必要があるので非常に難しい。仲間を作って変化をするという新しい形を作る必要がある。それが難しいので変化を受け入れる方向に傾く。

 

トップが求める変化が、長所を伸ばす変化なのか、短所を改善する変化なのか。短所をいくら改善した所で、長所を伸ばす変化には敵わない。長所の伸び代は無限だけど短所の改善は有限なのだから。むしろ短所を改善しすぎて、さらなる短所を生むことすらある。(無限に広がるチェックシート地獄は良い例ではないだろうか。失敗した所をチェックシートに追記していく事で、チェック項目がどんどん増えていき、最後には多すぎてチェックしなくなる…)