考えようとする心

考えようとする心

正直、ホワイトとは言えない会社に勤めている。ちゃんと給料を貰っているから、ブラックとは言えないがかなりの過重労働を強いられている。IT系なら当たり前と言われるのでブラックとはとても言えない。

言わずもがな、知り合いだけでも何人もの人がメンタルを害し長期休暇を取り復帰しているという状況にある。実際には辞めてしまった人も多いのだが、自己都合で退職となるため表向きには伝わってこない。会社に来なくなると、総務部付属になるので、産休か休職かの違いは透けて見えてくるのだが。

メンタル関係の休職から復帰した人を見ていると、同じ過ちを繰り返す人が多い。この連鎖を繰り返していると退職に向かって一直線である。身近な人を分類してみると、考えすぎか、考えなさすぎか大きく分かれるような気がしてならない。つまり少し極端な性格というか。

元々は過重労働が問題であるため、個人的な非は全くないとして考えた場合、考えすぎの人は仕事の結果に対しマイナスのイメージを強く考えてしまい、自分の中でいっぱいになってしまうように思われた。逆に、考えなさすぎの人は、やらされるがままに仕事を進めてふと立ち止まった瞬間に、自分が何をやっているのか納得できなくなってしまうというように思われた。

疲労が蓄積しない間は、何とかなるのだが、疲労が蓄積していくことで、頭の疲労も蓄積していくように思われる。


詰まるところ、状況を正しく認識して、よく考えることが必要なのではないか。自分が納得して働いているか、それとも無理矢理働かされているかにより、受け取る疲労も大きく異なると感じる。

しかし、悪いことに、納得するまで考えるという事が、自分をだますことになっている場合が多いことは否めない。

自分しかできない
  → 本当は他の人でもできる。

今日は休めない
 → 生産性が悪いのを時間でカバー。

必ずやる必要がある
 → 付加価値の押し売り。
      あれば良い程度のものは無くても良い。

そして一番良くないことは、自分にマイナスである事、自分を否定する事から目を背ける。

今までやってきた事を無駄な作業だったと思いたくないから、やり方を変えられない。
自分以外の誰かができるようになってしまったら、自分の価値が下がってしまう。

自分を大事にしているように見えて、一番自分を傷つけている事に気づいていない。これでは、どんどん自分が傷ついてボロボロになるばっかりだ。
考えすぎている人も、考えてなさ過ぎな人も根底は同じで目の前の状況を正しく認知できていないという所から始まっているように思われる。

価値のあるものに力を使って、価値のないものに力を使わないのは当たり前。力のコントロールができるようにならないとうまく行かない。


どうでも良いと感じる仕事を依頼された時、ドッと疲れがでる気がする。
人間って大切に思うことを、しっかりやる事が好きなのだ。大事な事をする時間は、何があっても惜しくない。疲れも感じないのだから。